建築という仕事は全く白紙の状態から始まります。それは出来合いの物を買うのと違い、まだ何もない、形のないものを買うことになります。このことが建築と他のものとの大きな違いだと思います。私はこの特異な状態でスタートをきるためには、何よりお互いの信頼が大切だと思います。
私は建築という仕事は量ではなく、そこに至る過程とその質こそが重要だと思います。そのためには私の建築に取り組む姿勢や考え方を、先ず知っていただくことが始めだと思っています。

建築はそこで生活する、利用する、または運用する、人間に主眼を置いてその人たちのために作り上げることが第一義だと考えています。
その為には、自己に対し客観的かつ批判的に向き合って、作ろうとする建築のあるべき姿を考え続けること、誠実さと基本を大切にして、常にそこに立ち返って見直す勇気と謙虚さを忘れないこと、これが私の信条です。

いかなる場合も自己にとらわれず、取り組むべきものに対しては謙虚に、自己に対しては客観的に向き合う、その中から生まれる建築は穏やかで優しい表情を返してくれます。
どのような建築であっても、それを使う人の思いに深く耳を傾けながら、その人々の目線で共につくることが建築家としての姿勢であり喜びであると思います。
かつて地球環境と人間との間にあった共生の絆、それを取り戻すことも建築を通して取り組んで行きたいと考えています。

住宅を作る時には、施主の住まい方を知るところから始め、施主の話に耳を傾け望まれていることの本質を咀嚼しようと努めます。図書館を作る時には、利用する側もサービスする側も共に使い易い建築とするために両者の目線で考えます。老人ホームを作る時には、お年寄りと同じ生活を体験してみる中で、お年寄りを介護する側の仕事も理解することに努めました。教会の現場監理に携わった時には、牧師先生の説教を聴くところから始め、その建築の奥にある本質を理解しようと努めました。
「出来上がった建築からは、その根底にある建築家の人格が見えてくる」と心得、常に戒めています。

病気をして医者にかかろうとすると途方にくれます。どの病院が優秀なのか、名医はどの病院の誰なのか。誰でも持つ疑問だと思いますが、建築家との出会いも同じことが言えると思います。雑誌などのメディアに登場している、大学で教えている、大手ディベロッパーと仕事をしている、などなど様々な肩書きを持った方々がおられます。しかし真に建築家と言える人は本当に一握りだと言っても過言ではないと思います。運良く建築家と出会うことが出来たとしても、その建築家が施主のためにどこまでやってくれるかは全くの未知数です。建築家と呼ばれている人の中にも施主のためにではなく、自分の作品を作ることを第一に考えている人もいます。
私は仕事の話をいただくと、先ず私の作ったものを見ていただくようにしています。その上で私に頼みたいと言う気持ちに変わりがなければ、改めてお話をお聞きした上でお引き受けするようにしています。ただし、こちらも一緒に取り組むことが出来る相手であるかを考えます。予算が厳しくローコストであっても、作ることに熱意が感じられれば一緒に取り組めます。一方お金に糸目はつけないという条件を示されても、お話に共鳴できなければ一緒に取り組むことは難しいと思います。つまりお互いを信頼し合うことが、まだ実態のない建築という買い物をしていただくための、事の始めだと思います。そして私は、私を信頼してくださった人のために全身全霊をかけて仕事にあたることをお誓いします。