所在地
東京都品川区北品川4-7-40

構造
鉄筋コンクリート造
一部鉄骨造
規模
地下1階・地上5階
延床面積
4,039m2

この建築はスケッチプランの着手から完成までに足掛け7年かかっています。
私は実施設計の途中からこのプロジェクトに加わり、現場監理を担当し、竣工後パイプオルガンの組立完了まで教会に留まり、周囲で大規模に行われていた御殿山ヒルズの工事との取リ合いの調整に当たりました。


覚悟

私にとって設計の初めから関与していない建築の現場を見るのは始めての経験でした。この時期の私は、同僚との建築へ取り組む姿勢の違いに悩み、勝手に孤立し、事務所を止めようと思うところまで追い詰められていました。そんな気持ちを知ってか知らずか、所長の鬼頭梓氏から現場を見ないかという話がありました。この建築は私の先輩2人が中心に関わっており、当然彼らが現場を見ることになると思っていましたので、当時の自分の気持ちを話した上で、私一人にやらせてもらえるならやりたいと返答しました。今だにこの時の経緯は不明ですが、とにかく一人でこの建築に取り組むことになりました。私は建築へ取り組む自分の姿勢が正しいか否かの答えを、この現場で自分自身に対して出さなければなりませんでした。もし自分のやり方が通用しないなら、そして出来上がった建築に、かけたエネルギーに相応する力を感じることが出来ないなら、私は事務所をやめるだけではなく建築をやめる覚悟で臨みましだ。

この建物は大別すると礼拝堂と幼稚園棟と塔とで構成され、これら3つに囲まれた3角形の庭は幼稚園の園庭であると同時に地下のホールの屋上になっています。この礼拝堂では時々コンサートが催されますが、知る人ぞ知る隠れた名音楽ホールでもあります。


素材

この建物を構成する材料はコンクリート打ち放し、煉瓦、ガラス、木材などシンプルなものですが、これらの素材をどのように建築と呼応させ、純化させられるかがここで取り組むべき自分に課した課題でした。
全体を通してコンクリート打ち放しを如何にきれいに作り上げるかに取り組みました。地下工事など人の目に触れない部分で試験的に様々なことを試し、最終的に地上部分、特に礼拝堂の仕上げに向けて技量の高さを求めました。型枠大工を何度も代え3度目でようやくこちらが求める技量の型枠大工に出会うことが出来ました。礼拝堂のコンクリートの打設に臨んでは休日に一人現場に出て柱の型枠の中に入り鉄筋の被りの確認やゴミ取りなどを行ったものです。
コンクリート打ち放しには全力であたりましたが、補修を必要とする部分も多く残りました。詳細は省略しますが、この補修にかかわった2人の男が、後の函館での仕事で私を助けてくれることになります。一人は補修屋というより絵描きで、悪い部分すべてに手を付けようとする彼にコンクリートの力強さがなくなるからと、私が考える打ち放しコンクリートについて何度も説明したものです。それを横で聞きながら、補修を手伝い技術を学んでいたのがもう一人でした。彼は熱心に研究を重ね、この仕事から離れた後も何枚もの板に補修見本を作り、彼から見てくれと電話があると出かて行ったものです。その後補修会社を立ち上げ、今では私以上にコンクリート打ち放しについて熱くうんちくを語っています。


脇役の大切さ

煉瓦はカナダのものを使用しています。今ではクラックや白華防止対策から中空積と言って、コンクリート躯体と煉瓦の間を空けて積むことが多いと思いますが、当時はちょうどこの方法と、コンクリート躯体と煉瓦の間にモルタルを充填する(裏込めする)方法のどちらかの方法を選択する過渡期で、私たちも前者での施工を考えていましたが、施工を請け負っていた竹中工務店の技術研究所の猛反対に遭い、已む無く後者を選択することになりました。カナダ製の煉瓦の素朴なテクスチャーを生かすには、目地をどう扱うかで決まると考え、目地材の配合と細骨材(砂)の粒度を決めるために九州まで煉瓦職人と出かけました。この職人が後の淡路島での仕事で私を助けてくれることになります。
この時に作った目地をそれ以後再現出来ずにいますが、遠賀川のケイシャが目地にほのかな薄茶の色味を与え優しい趣きがあります。当時このような目地は日本にはありませんでしたし、竹中工務店をしてこれで本当に大丈夫なのかと言わせたほど、粗野で荒々しくでこぼこしていますが、私は今でもこの建築の、この煉瓦にはこの目地しかなかったと思っています。ただし礼拝堂内部の目地は人が触って大丈夫なように控えめに扱っていますが。


人のために

この教会は私が師事した建築家・鬼頭梓とキリスト品川教会牧師・佐伯洋一郎の両氏とがタッグを組んで作り上げた建築と言っても過言ではないと思います。そして私はここで初めて自分のためにではなく、この2人と全ての教会員のために、自分の限界を越えて取り組むことを自分に課しました。また自分が模索する建築に対する答えを見つけるために、たとえそれが透明な薄皮であっても、ここに必要としない余分な衣であればすべて剥ぎ取り、本質だけを残すことに全霊を傾けました。自分の作品とは言えませんが、私がこの建築に命を吹き込んだと自負しています。この建築から作品説明が始まるのは、私に建築家としての信条をはっきりと認識させてくれた建築だからです。
私は新しい仕事が始まると、これから仕事をすることになる現場の人たちと一緒にこの建物を見に訪れます。それは全員でこれから取り組む建築に対する思いを共有するためと、私の信条を伝えるために他なりません。


礎を得る

私はかつてこの建築について次のように書いたことがあります。
『このグロリアチャペルの仕事を通して、とりわけ現場常駐監理の中で自分自身と建築の係わりについて長く模索していたことの実証を試みた。それは複数の人間が関与して出来あがる建築、その中に潜む曖昧で未成熟な要素をいかに排除して完成度を高めることができるか、そのために自分の信念をどこまで貫き通すことができるか、工事に携わる人々はどこまでそれに応えることができるか、そして完成した建築に対してこれらの試みの差異をどこまで認識することができるものかを実証してみることであった。またそれはあらゆる不確実な要素に、私自身の感性によって本来のアイデンティティーを取り戻させ、どこまでそれを純化し再構築できるかの検証と実践の作業であった。
自己と葛藤しながら、この建築と真正面から向き合った。完成が近づき建築というジグソーパズルの各ピースが、自分の決めた場所に寸分違わず嵌っていくのを見た時、内なる霧が晴れていくのを感じた。無駄を削ぎ落とす、それによってはっきりした輪郭と本質が見えてくるということ、これこそが自身で到達した結論だった。常に純粋に客観的に物を見据えること、そして常に基本に戻れるスタンスを自分の中に確保しておくことの重大さを再認識することができた。このチャペルでの経験はその後の全ての仕事の礎となっている。』