所在地
東京都武蔵野市吉祥寺北町2-9-2

構造
鉄筋コンクリート造
規模
地下1階・地上2階
延床面積
8,145m2
受賞歴
1996 / BCS賞
2000 / 公共建築優秀賞

この吉祥寺に建つ老人ホームは東京都と武蔵野市を共同事業主としています。東京都は130室の完全個室からなる養護老人ホームを、武蔵野市は同市域内で独自の老人施設としては初の50名を収容する特別養護老人ホームとデイサービスセンター・老人介護支援センターを、一つの社会福祉法人に一括して運営委託しています。


初めての老人施設の設計

設計を始めるにあたり幾つもの老人施設を視察して話を聞き、そしてお年寄りと同じ食事をし、同じベッドで眠り、片手を縛って車椅子を扱い、介護に携わる人々とお年寄りとのふれあいを目の当りにした数日間の研修を通して、一つのことが見えてきました。それは介護するのも介護されるのも同じ人間であるということです。信念と自信を持って介護に携わる人間と、人生の最後まで誇りを持って生きたいと願う人間とをつなぐものは、お互いを認め合い、信頼し合い、尊ぶ心だということです。


依頼者との戦い-施主は住人

建設敷地は第一種住居専用地域にあり、既に閑静な住宅地を形成していました。しかし当初東京都は、敷地の4辺が道路に接することによる法的緩和を利用した許可申請により、3階建での計画を設計条件として示していました。私は建築の周辺環境との調和もさることながら、先ず地域住民に対して、ここに老人施設を作ることの意義を理解してもらい、次にここに暮らすことになる200人近いお年寄りを隣人として受け入れてもらうためには、地域の人たちに全てをオープンにし、そして全てを認めてもらうことが何より必要と考えました。そのためには住民からの信頼を得ることが何より重要で、空地を増やせるというメリットはあるにしても、許可申請をしてまで建物の階数を3階にすることには大きな危惧を持っていました。そこで、この機を借りて東京都が考えていた敷地北側からのアプローチを南側からに変え、病院のような配置計画を自分たちの家と感じられるような配置計画に変え、3階建案を2階建案に変更するための比較検討書を幾度となく示しての打合せの結果、やっと2階建ての承諾を得ることができました。


指導課との戦い-今後に繋がる前例をつくる

この建物ではもう一つ東京都建築指導課ともめたことがあります。この建築は2つの□の字がその角を共有する形の平面形をしています。1方の□の字には1・2階とも養護の個室があり、その中庭の一方は前庭に向って開放されています。もう1方の□の字には1階に特別養護の個室と4人部屋、2階に養護の個室が入り、その中庭は完全に閉じています。閉じた中庭を設けた理由の一つは、特別養護側の夜間の徘徊に対応できるように考えてのことでしたが、この閉じた中庭は建築基準法の避難階における避難経路の確保に抵触し、少なくとも東京都での前例がなく、指導課担当者では判断が付かず、建築基準法の専門家に相談して担当者を飛び越えてその上司と直接交渉して承諾を得るにいたりました。
また養護と特別養護の施設水準は法的な施設基準と建設費の国庫補助基準から規定されている中で、基準モジュール(module: 基準単位(寸法))の違うものを上下に重ねることは最大の難問でしたが、上下階で柱の位置をそれぞれのモデュールに合うようにずらすことで問題を克服しました。


大きな自分の家

私はここに入所するお年寄りが自分の家のように暮らせる「大きな家」を作りたいと考えました。2階建てとすることで軒高を押さえた勾配屋根を持つ低層の建築にすることができました。威圧感のある建物とならないように高さを押さえ、長い壁面をクランクさせたり、バルコニーの先に小さな柱を設けて可能な限りヒューマンスケールに近づけました。中庭を中央に置いた平面計画により、各部屋の居住環境を平等に近づけることもできました。敷地南東の角を大きくオープンスペースとして地域に開放し、それに続く中庭もプライバシーを確保できるぎりぎりの所まで開放しました。住む人も働く人も近隣の人も、そしてここを訪ねる人も、みんな陽のあたる庭を通って建物に入ることが出来るようにしました。管理する側からの発想である敷地周辺にフェンスを巡らすことを止め、植え込みによって居住者のプライバシーを確保しながら、近隣との垣根をなくす方法を提案しました。


ソフトを込める

ハードとしての建物だけでなくソフトを込めた環境を造り、それを地域に提供する、そして近隣住民からこの施設に移り住んで来られるお年寄りを、住民として受け入れてもらい共に暮らしていく中で、真の共存という関係が育まれるものと思います。これこそが心の垣根のない真のバリアフリーと呼べるのではないでしょうか。
老人ホームは郊外へと考える人が多い中、これからは高齢化社会に向けての老人介護問題を考えた、より地域に密着した介護ネットワークの構築が必要になると思われます。そしてもっと小さな規模の介護支援の拠点が、介護を必要とする人々と密着した住宅地に数多く作られ、その時、この施設はこの地域のセンター的役割を担うことになることでしょう。
しかし今後この国の老人介護政策がどのように変わろうと、この施設はここで共に考え培われた高潔な精神を以って、各個自身の中に介護の基本精神に謙虚に立ち戻れるスタンスを持つ人々を以って、人間という二文字を決して忘れることのない介護へ向けてのメッセージを発信し続けていくものと信じています。


皆の情熱があってこそ

この建築は周辺環境に溶け込んだいいスケールの建築だと言われます。しかし、すべての無駄をそぎ落とすことで簡潔で当たり前のように見せるための努力と取り組みは数え上げればきりがありません。居室入口の施錠がし易い電気引戸錠をこの施設で改良し作ったこと。車椅子でも裸足でも段差なくバルコニーに出やすいように新型のサッシを作ったこと。寝たきりのお年寄りがほとんどの特別養護の4人部屋の天井は木であること、カーテンレールは病院のそれではなくデザインが美しくシンプルなものであること。工事関係者たちとの何一つ手抜きのない取り組みの結果がこの建築を地域に溶け込ませているのだと言っても過言ではないと思います。

そしてもう一つ付け加えるなら、地域住民とこの建物の距離を近づけてくれた一人の女性の存在を忘れることはできません。彼女は沖縄出身で、ガードマンとしてこの仕事にかかわりました。仕事には厳しく、誰に対しても媚びることなく中立で、若い女性のハツラツとした笑顔は皆を和ませ、行き届いた気配りに住民からの信頼を誰よりも得ていたと思います。私は彼女を含めて誰一人欠けていてもこの建築の今日の姿はないと思っています。





時を経て今思うこと

現在、この建物を設計した時と比べ介護制度も大きく変わり、民間業者の参入によるサービスのあり様も変化しています。
最初いくつかの施設を視察した時、自治体が事業主体であるほとんどの施設で、施設運営者(介護者)たちから管理されるお年寄りたちを多く見かけました。お年寄りたちは目を伏せ介護者の顔色を気にしながら、とぼとぼと廊下を歩く淋しそうな姿を何度も目にしました。そんな施設からは参考とする何物もありませんでしたが、2つのキリスト教系老人施設で人が人の世話をする気高い姿に触れ、そんな施設を実現したく取り組んだのがこの建築です。

介護が民間事業となった今、真にお年寄りのための介護が行われているのでしょうか。行政は事業を民間に委ねて事実上は撤退しながら運営評価は行うでしょうし、高潔な気持ちで介護を天職と考えていた人たちにかわり、一職業として介護を選択した人による職場に変わってきてはいないかと危惧して止みません。