楽しい家をご所望
この家はこれから老年を迎えられる夫婦が、主人のリタイア後の生活が住まい中心になるとの考えから、楽しく暮らせる家を作りたいという要望を受けて設計したものです。隣地に長年住み親しんだ十分な広さの家屋がありますが、それを娘夫婦に譲り、今までのように人任せで作った家ではなく、自分たちが納得できる楽しい家を作りたいと切に望まれました。そんな住まいとはどういうものかとあれこれと考えましたが、行き着いたのは過度な材料、華美な仕上げ、意味のない装飾等を一切排除した、素朴で自然な素材だけを使ったシンプルで上質な空間でした。それは、人の体にも心にも優しいあたり前の空間であり、自分が今まで考えてきたこと、作ってきたものと何ら変わらないものでした。
この家は正客のための通念上の入り口としての玄関はありますが、あくまで二人の主人公を家の中心に据えてそれぞれの部屋の位置関係、景色の見え方、光の入り方、風の通りなどを大切に考えて設計してあります。玄関は引き込み式の扉を閉めることで、切り離すことができます。そしてこれから奥がこの家のために作ろうとした空間となります。
一の庭
この家の中心には「一の庭」と呼ぶ中庭があります。季節の移ろいを楽しむことのできる「静の庭」です。この庭は錆砂利を四周に廻し、野面の錆石から内側は、ヤマボウシの株立ちと数本の寒椿を数種類の下草が囲み、残りの部分は小粒の錆砂利を敷き詰めています。この庭をリビング・食事の間つづき・食事の間・主人の間、そして風呂へと続く廊下が囲んでいます。リビングには南に広がる庭に面して十分な開口がありますが、プライバシーが確保された中庭を家の中心に置くことで、近隣に気を使うことなく自由な過ごし方ができるようになっています。
この家の設計で得心が行くまで試行錯誤を重ねたのは、食事の間つづきをどのように定義するかでした。ここは廊下ではなく、時には食事の間と一体に「一の庭」に向い、時にはリビング”と一体となってL字に「一の庭」を包み囲み、また時には単独の空間として「一の庭」と対話します。「一の庭」を囲む木製建具は完全に戸袋に引き込むことができ、掃き出し窓を全開すれば外部空間である「一の庭」とリビング・食事の間つづき・食事の間が連続して一体となります。かつての日本の家屋にあった内部空間と外部空間が融合することによる心地よさを作りたいと思いました。
リビングと夫人の間・主人の間をつなぐ廊下は、「一の庭」に面して足元に開けられた嵌め殺し窓とトップライトから採光を取り、リビングとの間に設けられた引き込み戸で仕切ると、来客時のプライバシーが確保できるようになっています。夫人の間とウォーキングクロゼットは一体に使用できますが、夫人が来客時に廊下を通ることなくトイレや洗面所に行くことができる裏動線ともなっています。
二の庭
この住宅の特徴として十分な広さを持つ風呂スペースがあります。24時間自由に風呂を楽しみたいという主人の要望により、洗面所・フィットネスルーム・ミストサウナ・浴室からなる風呂空間と主人の間が「二の庭」を囲んで展開しています。坪庭的性格を持つ「一の庭」と異なり、木製デッキの「二の庭」は一方が通風可能な目隠し塀となっており、塀越しに庭の緑を借景として楽しむことができ、フィットネスや風呂から裸足で出ることもできます。
「二の庭」は室内の延長として使える「動の庭」であります。ここにはシャラの株立ちを1本植え、足元をコクマザサで固めている。これら趣きの異なる二つの中庭は、主人の日常を豊かにし、重層する窓の景色との相乗効果により、この家で過ごすことの楽しさを満喫できます。そして、夜灯りが灯ると主人の間を通して趣の異なる二つの庭の灯りが対話し、リビングから「二の庭」の灯りを見通すことができます
食事をつくる楽しさ
住宅を設計する時に先ず考えることはキッチンの位置です。それは生活の中での食事の重要性を考える時に、キッチンを快適な場所に置き、楽しく料理できる場所とすることが最も重要であると考えるからです。アイランドキッチンからは庭の緑や陽だまりを眺めることができ、リビングにいる家人と会話を交わすことができ、「一の庭」の樹木が垣間見え、入り口からの車の進入や来客が望め、畑の野菜や草花が眺められます。
食事の間は台所とつながるユーティリティースペースとしても機能し、リビング・「一の庭」・主人の間という南北の軸線に対して、夫人の間・リビング・キッチン・食事の間という東西の軸線を形作り、この両軸の交点にリビングを置く平面構成になっています。
キッチンは見掛けだけ豪華な既製品のシステムキッチンではなく、キッチン専門の会社と設計の初期から打合せを重ね、この家に最もフィットするものを共に考えたものです。引出しや扉の細かい金具まで使い易く、耐久性がある良品を使用し、夫人が快適に楽しく使える工夫をしています。
キッチンとリビングは連続した一体の空間として設計してありますが、大きく屋根が架かり、トップライトからの明るい日差しが差し込む夫人の間のテラスは、リビングの連続として屋外での軽い食事やフィットネスができるように考えています。
土壁の心地よさ
内部の壁は珪藻土による左官壁としました。珪藻土の壁は消臭・空気浄化作用や調湿効果があり、快適な室内環境が得られます。外部の壁は鹿児島のシラスを原料とする左官壁としました。素材感が自然木の柱や梁と穏やかに調和し、飽きの来ない落ち着いた材料と考えています。私は人が触る所や目にする所にできるだけ化学材料は使いたくないと考えています。この外壁材も自然と経年変化していく素材として採用しました。余談ですが、この材料は興津の家の内壁に使おうとして上手く仕上がらず、塗り終わった壁を全て壊して珪藻土でやり直した苦い経験がありました。一度は二度と使わないと心に決めましたが、宮崎県の工場まで足を運び生産工程と見本塗りを自分の目で確かめ、得心してここで改めて使ったという経緯があります。
無垢材の心地よさ
床材は柔らかく、足に優しく、温もりのあるサワラ材を使っています。傷は付きやすいのですが、表面だけ薄い木材を貼り下地は合板の硬い既成のフローリングにはない足ざわりがあります。既成のフローリングの塗装による硬いコーティングとは異なり、メンテナンスの手間はかかりますが、人に優しい蜜蝋ワックスを水廻り仕様で全面かけています。これらは季節を問わずどこでも素足で歩けるようにしたいと思ったからです。ここでは素足で歩けるためにセントラル冷暖房にしたり、全部屋を床暖房にすることは、省エネと光熱費の低減を考え取り入れてはいません。
地球の恵み
この家は地中5メートルまで埋設された杭先から、年間を通して安定した15〜16度の地熱を熱回収し、それを床下に蓄熱した後、循環・回収・排気を制御しながら季節ごとの快適温度を得るシステムを採用しています。地熱エネルギーを使った床暖冷輻射システムで、冬でも深夜電力を使って蓄熱し時間をかけて放熱するシステムで22度前後のベース温度が確保できると考えています。ただし、1年を通してランニングコストと補助暖房の要否を見た上で、初めて評価が下されることですが。
家具と植木
この家のための家具やカーテンなどを見るために都内の店に夫婦を案内しました。現在その時に選んだ家具がこの家に納まっていますが、その家具に座り中庭を見ていると本当に気持ちが良いと言ってもらえます。この中庭も最初は植木屋が勧める、管理の容易な常緑樹と石灯籠を入れたいという希望がありました。私は落葉を集める手間はかかりますが、季節ごとの変化を楽しめる落葉雑木がこの庭には合いますと言って、普段植木は植木屋任せにしている主人を促して畑まで足を運んでもらいました。何が最善かを主人の目線で説明し、相手の意見も聞き、納得してもらった上でことを進める、この庭はそうして決まったものです。それは人任せではない、自分たちも家づくりに携わったという思いが、この庭への愛着をいっそう増しておられるのだと思います。
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