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風のかたち

002
生きる

003
小さな記事


十二月の始め、神戸新聞の淡路版に洲本市にある鐘紡工場跡解体の記事が載った。 「一時代を築いた歴史建築、明治・大正期の創造、名残惜しみ7日に見学会」という見出し。 そして荒れ果てた工場内に布を被って並ぶ紡績機械の写真が掲載されていた。記事は「1987年に閉鎖された工場群は、市立図書館などに再利用される一部を除き姿を消す……」と続いていた。

私が記事にある図書館建設のためにこの島に来て、7ヶ月が過ぎようとしている。 工場群が取り囲む中で、その一部を図書館として再利用するという提案を行い、建築に関わってきた者としても、この記事の衝撃は大きかった。解体のことは知りつつも、何とか保存をと願っていただけに、具体的な記事に最後の期待も諦めに変わった。

1908年に建設が開始され、あと10年で100年を迎える建物のことを、創刊百年記念のエッセイとして綴ることに、少なからぬ因果を感じる。 明治の終わりから昭和の始めにかけて建設された煉瓦造の工場群は、それはそれは美しく、ひっそりと佇んでいる。 この時代の古い建築が各地で姿を消していく中、島という立地が、無秩序な開発から逃れ、今まで生き延びることが出来たのかも知れない。

工事中の図書館前の広場に立つと、各時代の工場群が取り囲み、2つの塵突がランドマークのように聳え、既に美術館として使われている旧原綿倉庫などが見渡せる。 工場としての使命を終えた中、植木の剪定や植物の手入れは丁寧に行なわれ、工場敷地内ということで一般の人びとの目には触れぬまま、時が止まったかのような静かな空気が流れている。

一歩工場内に入り、整然と並ぶ紡績機械の列を見ると、往時の情景が蘇ってくるように時が停止している。 北側からの柔らかい光線が差し込み、内部は均一に明るく、聞こえる音と言えば、ここに住む鳩の羽音ぐらいのもの。 工場内部を南北に区切る煉瓦の防火壁は何回にもわたって塗られたペンキが剥げ落ち、油の染みや無数の傷が工場の歴史を物語っている。

解体を前にした見学会に参加した。 何十年ぶりかに再会する人、かつての職場を懐かしむ人、娘や孫に説明をする人、当時の写真に見入る人、写生をする子供たち、そして一人の引率者がそこにあった。 現在、工場敷地の一角にある事務所で、一人業務をされている。昭和初期に出来た事務所のある建物は綺麗に清掃され、花で飾られ、物静かで心優しい人柄がうかがえる。

天皇陛下が来られるということで専用の便所をつくったが使われなかったとか、色々な話を伺ったものだが、最近はお邪魔する機会も少なくなり、時々花の手入れをされる後姿を見かけるだけあった。

見学の日は工場内には危険箇所もあるため、安全通路にロープが張られ、きめ細かい配慮がされていた。 見学者と一緒に歩きながら、一つのことに気が付いた。 工場内の見学者が歩く床が綺麗に掃かれている。 鳩の糞でいっぱいだった木の床が、丁寧に丁寧に掃き清められている。

誰も知らないし、誰も気が付かない。 しかし精一杯、昔日の思いを胸に来られる人びとを迎えようとする心、その心配りにそっと頭を下げた。

そして花の手入れをされる後姿と重なり、こういう人がこの美しい工場群を守ってきたのだなと、ふと思った。何もおっしゃらないが、取り壊しを一番口惜しく思い、この見学の日に、一つ一つ噛み締めながら、目に焼き付けているのはこの人なのだと思った。 そして図書館部分だけの再利用となったが、この工場の面影を大切に大切に、残りの仕事に全霊を傾けようと静かに誓った。

小さな記事 −しかし大き過ぎる決別