建築家・鬼頭 梓

001
新刊案内

002
山口県立図書館

003
退廃の淵

004
設計者を選ぶということ

山口県立図書館

初めてこの敷地を見、周辺の町を歩きまわった時から、私はここに建つ建物の中に、通り抜けの露地をつくりたいと思うようになった。 通り抜けは、前にも書いたことがあるように、品川の旧宿場の裏長屋を歩きまわった時、ザルツブルグの古い町で通り抜けから雪の残った中庭に出、また通り抜けて裏の通りに抜け出た時、その強い印象に支えられて、三ケ日の農協支所をつくったときはじめて試みたことだった。

ここの広い広場に立ったとき、敷地の東側の古い町並みからこの敷地に通じている袋小路を通って、人びとが敷地をよぎってゆくのを見た。 それは決してそんなに多くの人数だった訳ではない。 が、正面西側の、県庁へ通ずる道に面したよそゆきのたたずまいに比して、この露地からひっそりと通り抜けてよぎってゆく人びとの姿には日常の生活があった。

私は逆にこの露地から古い町並みへと出て行ったのだが、一の坂川を挟み、さらに東へ広がっている古い家並みは、周囲の緑の山々の中に静かに明るく立ち並んでいた。 この日常の光景が、もし新しい建物の中にひき移されるならば、どんなに素晴しいだろう、そして今この敷地を歩いて通り過ぎる人がいる以上、たとえひとりでも尊重することはできないだろうか、とつおいつ考えながらひとりで歩きまわっているうちに、いつか私は通り抜けをつくろうと思いはじめていた。

東京の三鷹に住み、渋谷区に事務所をもつ私が、この山口にきて仕事をすることの不思議さに気づいたのもその時だった。 今の社会で、一見何の不思議さもなく、日常普通のこととして誰も疑わなくなってしまったこのことは、しかし考え出すときりのないくらいに、多くの矛盾にみちたものに見えてくる。 歴史的な土地と、ひとりひとりの人格をもった人びとと、建築が今無縁の存在になってしまったことをそれは物語る。 

その回復を図るなどという空疎なことばは使いたくもないけれども、この古い歴史と美しい自然に囲まれた山口の町にきて、ひっそりと敷地を通り抜けてゆく人びとの光景に接している中に、今私にここで何ができるのかと重い焦燥感におそわれたことは事実だし、それは今も続いている。そして、唯ひとつだけその時から私の中に残ってきたことは、今あるもの、今まであったものを、できるだけ大切に残してゆきたい、ということだった。

エトランジェである私に、この古い家並みのたたずまいの中にひそむ歴史と、人間の営みや葛藤を知ることはできない。ただ歩きまわり、立ち止り、ひたすらに見て歩いてゆく中で、だからこそできるだけ、今あるもの、今まであったもものを大切にしてゆきたい、この町と自然と、そこに繰り広げられている人びとの生活とに、邪魔にならないものをつくりたい、と思いはじめたのである。 そうして通り抜けは、この設計の最初から私たちのテーマとなった。
(後略)

新建築 1973.11 鬼頭梓