建築家・鬼頭 梓 | ||
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山口県立図書館 | ||
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退廃の淵 | ||
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004 | ||
設計者を選ぶということ | ||
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退廃の淵
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はじめに 今私たちは日本の政治と政治家に対して、言いようもない恥ずかしい思いを抱いている。 だが、そのことをここで書こうというのではない。 それと同じように、もしくはもっとそれ以上に、今私たちはー私たちと行って悪ければ少なくとも私はー、日本の建築と建築家とをとりまいている状況に対して、いっそう深い苛立ちと暗い思いとを抱いている。 いっそうと言ったのは、今日本の建築家と建築界とは、かつてない悦楽の日々を迎えているように見えながら、その情況はどうやら、私たちが恥ずかしさと腹立たしさを禁じえないでいる政治や政治家たちの腐敗、もしくは退廃の構造とでも言ったらよいのだろうか、それと決して無縁なものとは思えないからである。 政治を支配している論理と同じ論理が今、建築をも支配し始めている。 その関係を短絡して考えようというのではない。 それはもっと屈折した隠微な世界での話であって、情況は目に見えないところで絡み合っている。 それだけに建築家は、他人事のように政治について語ることができ、また嗤(わら)うこともできるのである。 そのような情況が次第に支配的になって来ているなかで、それは知らず識らずのうちに私たちを冒し、退廃に拍車をかけれいる。そのことを私は恐ろしいと思う。 かつて前川國男が逆説的に述べたように、建築だけがもしくは建築家だけがこの世の中においてシャンとしているわけにはいかない、ということなのであろうが、そうであれば余計に建築家の主体性が求められ、その責任はいっそう重いというべきであろう。 この退廃の中で建築家としての自由と独立を守り、自ら身を持して建築家本来の生き方を生きようとしている多くの人たちは、ますます苦しい情況を強いられてきている。 その人たちに、はるか声援を送るためにも、書いておかなければならないことが大分あるように思う。 今好ましくない情況がどれだけ広がっているのか、もっぱらその憂慮すべき側面についてのみ書いてみたい。 決して愉快な話ではないので余り気は進まないが、やむおえない。 このこの一文が、これを種に多くの方がたに建築家という職業のあり方について何がしか考えていただく、あるいは議論していただくきっかけとなってくれればと思う。 ただ私は、今日の建築家をとりまく情況と、そこにおける建築家のあり様の全体を、構造的に捉えきることができているわけではない。 だから恐らくこの一文は、多分に脈絡のない文章の羅列に終わってしまう恐れが大きい。 その点はあらかじめ、お許しをいただいておきたいと思う。 退廃は止まるところを知らない、と私は書いた。だがそれは、何も今に始まったことではない。 困った問題はずっと以前からいつも存在していた。ただ、かつては、そこには何がしかの後ろめたさが必ずつきまとっていたし、困った問題が起こればその周辺では、人びとは声をひそめて対策に苦慮するという、それなりの秩序がわずかながら残されていた。それがいつの頃からか、すべては暗黙の了解事項でもあるかのように、大方の困った問題はほとんど話題にのぼらなくなった。 そして前川國男の死後、さながらたががはずれたかのように、私たちをとりまく建築家の社会は、急速に緊張感を失っていく。 亡くなってみて、前川國男の存在がどんなに大きかったのか、と改めて知らされる思いがする。 退廃は今、建築の設計監理という、建築家の仕事のすべての領域に浸透しつつある。 昔ながらのダンピング、今や政治家をも巻き込んで繰り広げられる熾烈な営業活動、設計料の入札と擬似コンペ、工事会社による無償の技術供与の享受、あるいはその強要、メーカー指定と引き替えのリベート、等々といったような、お定まりのもっぱら経済行為にまつわる退廃に加えて、それは次第にもっと建築の本質に迫る文化の領域にまで及んできている。 「新建築」に載るまでが勝負、といった一部の若い建築家たちに見られる風潮は、その端的な一例ではないか。 建築は人びとの必要に応じてつくられる、どうしたらその必要に答えることができるのかなどという話は、すでに遠い神話になってしまって、今は若い人たちにとってどうしたら「新建築」の編集者の目をひきつけることができるのか、そして採用してもらえるのかが菜だの問題であるかのように見える。 写真が撮られ紙面に載りさえすれば大勝利、あとはもうどうなっても最早知ったことではない、雨が漏ろうと使いにくかろうと、あるいはどんな使われ方をされようとそんなことは一切かまわない、とにもかくにも「新建築」に載って名前を知られるのでなければ、何の未来もないのである。 そうまでしまければ、若い新しい世代の人びとは生きる道を見いだすことができないほどに、目に見えない大きな体制が着々と構築されてきている、ということであるのだろうか。 そしてそのことがここまで、若い優れた才能を追い詰めてしまっているのであろうか。 確かに今、日本中のめぼしい建築は、民間の仕事であろうと公共の仕事であろうと、そのほとんどすべてが、ある一群のいつも同じ顔ぶれの大規模な建築事務所か著名な建築家たちのうちの、誰かの手で設計されているいっても決して過言ではない。 あるいはその資本力により、あるいはその技術力により、またあるいはその著名度によって、そのような社会的評価を受けていることにほかならないのだから、それは当然のことであるのだと言われるかもしれないが、その一方で、その大変な営業力で底引網でも引くように、日本中のめぼしい仕事の大半が、東京と大阪とのかき集められていることもまた紛れもない事実であろう。 しかも、そのようにして集めすぎてしまって手の足らなくなった仕事は、多くの下請けの設計事務所に配られ、時には大手建設会社の設計部の手を借りて進められる。 寡占の情況は、何かある必然性に左右されているかのように、今確実に進行している。 若い建築家が独立して仕事をしようとしても、残されているのはその網の目からこぼれた、わずかな小さな仕事ばかりだと言っていい。 そのなかで、伝(つて)を求めてようやく手にした住宅やブティックの仕事に精魂を傾けて、人とは違った新しい建築の世界をつくり出そうと全力を尽くし、しばしばことさらに目立った形につくり上げて、何とか「新建築」に認めてもらう以外に、ほとんど世に出る機会はない。 そして若い建築家の登竜門ともいわれる手頃な公開コンペは、皆無に等しい。 こんな情況の中では、たとえ豊かな才能と優れた腕を認められた若い人たちであっても、必ずしもその将来は約束されはしないのである。こうゆう逼塞(ひっそく)した社会の情況の中で、建築家に求められる能力や資質とは一体何なのだろうか。 彼らは最早オーソドックスな議論ではこの世の中は変わりはしないと、たかをくくっているのかもしれない。 まっとうな議論が説得力をもちえないまま、建築家の像はますます明確な輪郭を失っていく。 一方ではまた今若い建築家たちの多くは、一人前の建築家になるために、長い修練の時が必要だということさえもなかなか肯(がえん)じようとはしない。 施工技術のレベルの高い日本では、いい加減な図面でも建築は立派に建つ。 一流の工事会社であれば、怪しいと思えば全部構造計算までやり直し、ディテールを吟味し、たとえ渡された図面が学生の書いた図面のように杜撰なものであっても、立派に仕上げてしまうのである。 雨も漏らないし地震にも倒れない。ならばそれでいいではないか、何で長い時間を我慢して修練に励まなければならないのか、とかえって彼らはうそぶくのであろうか。 そして彼らの著名な先輩たちは、職能などというのは古くさい議論で創造性こそ重要だ、デザインのみが建築家の生命だと、歯の浮くような言葉で彼らを魅惑し、正統的な建築家のあり様はここでも次第に崩れていく。 それならば今建築雑誌の紙上で、彼らは一体何を語っているのか。 建築家にか通用しない、いや建築家にすらほとんど通用しない彼らの身内の言葉で、独りよがりの議論を展開させているばかりではないのか。 そして誰一人、その議論の中で建築のよしあしには触れようとしない。 もっぱらコンセプチュアルな議論のみが展開される。 そのことが創造性ということなのか。 建築家が建築のよしあしについて口を噤んで語らない、この不思議な光景が続くかぎり、身内の社会ではない開けた場所で、そして普通の人びとの言葉で建築が論じられるときは、なかなか来そうにない。 そして一方多くの市民は、建築の内容やそのよしあしにはほとんど関心を示さない。 ただファッションとして、それも庶民には手の届かない政府や地方公共団体や、大企業やあるいは時代の先端をいく商業建築の繰り広げる高価で派手なファッションショーでも見るかのように、建築を見る。その昨今の世の中のおもむきと、建築家の言動と、それは表裏をなしているのであろうか。 かくして建築家は今、その本来の職分を見失いつつある。 デザインといい創造性といいつつ、その陰で政治家に取り入り、権力と結び、大企業の走狗になって、今建築は人びとを忘れた。 一体誰のために彼らは、そのデザインの能力と創造性とを発揮しようとするのであろうか。 寡占の市場から弾き出されて第一線の戦列に加われない人たちは、都道府県や市町村のレベルの中でさまざまなスケールで同じような戦列をしき、国をあげて営業と売名と、あるいは自己顕示欲の充足とに血道をあげる。 この中にあって、まっとうに、人びとの必要に応えてものをつくろうと努力を重ねている人びと、そしてそのために歯を食いしばって自由と独立とを守り通そうとしている人たちは、ちょうど良貨が悪貨に駆逐されるように、次第に追い詰められていく。 普通の人びと、本来はその建築の主であるべき無数の市民たち、もしくは消費者と呼ばれる人々の存在を見失って、建築家は同時に自らの職分をも見失っているのだと思う。 今政治が民意を反映していないのと同じ程度に、建築もまた民意を反映していない。 声を出すことのできる少数の人たちが建築を支配して、後の人たちは無関心を保つことで、建築などとは無関係に、ただひたすら自分の生活を守り続ける。 再びこれが日本の民主主義の現実であるのか、かつての民主主義の理想はどこへ行ってしまったのか、あの熱っぽい議論は一体何であったのかと、そんな思いを禁ずることができない。 このような情況が、一方で建築家が自ら招いた情況であることは間違いないが、他方、社会の側、発注者の側の情況が、建築家たちにそれを強いてきたという一面があることも、また事実である。 そのどちらの要因が大きかったのか、あるいはどちらが先であったのかは別として、その両者が相まって今日の情況を生み出してきたのであることは、確かであろう。 それは設計料入札の問題と擬似コンペの問題とに、一番端的に現れていると思う。 国は地方公共団体はそれそれ会計法、地方自治法に基づいて設計料の入札を行っているのだという。 確かにそれはそのとおりで、会計法、並びに同施工令、地方自治法、並びに同施工令の各該当条項には、契約は原則として公入札によるべきものであり、例外として指名入札と随意契約ができる場合を定めている。 そしてその例外として、随意契約とすることができる場合とされているなかに、自由職業人、あるいは建築家を直接明示する文言は見当たらない。 このことは基本的な法の欠陥ともいうべきで、その改正は私たちが強く要請していかなければならない重要な問題であるが、今はその問題に触れない。 今ここで私が触れようとするのは、このような法の適用がどのような意識や力関係の中で、またどのような背景の中で連綿として行われてきているのか、法の名のもとで設計料の入札というものを現実に支えているのは何なのか、という点についてである。 私たちが、“入札をしない建築家の会”をつくったのは1979年、今から10年前のことであった。 そのしばらく前に、私は日本建築家協会の機関紙(‘79年春「建築家」)に「建築家のあるべき姿を問い続けること」という一文を書いた。 その中で私は、建築家の過度の営業活動が、設計料の入札や擬似コンペを横行させる大きな要因となっていることを指摘し、入札や擬似コンペを批判するなら自ら蒔いた種は自ら刈り取るべきであって、具体的な行動として協会の全員が入札総辞退をしようではないかという提案を行った。 提案は残念ながら、あるいは当然のことながら実現しなかったが、この一文が契機となって“入札をしない建築家の会”が生まれた。だが、10年の余を経た今も、入札や擬似コンペをめぐる経緯や情況はほとんど変わっていない。 ますます熾烈な営業活動の中で、もしも中央の政治家の名刺を持った建築家が何人も押し寄せてきたとすれば、自治体の長はその中の誰をも選ぶわけにはいかないのは当然のことで、結局は入札かコンペかということになっていく。 自治体の長が一番恐れているのは議会であって、その議会のほうは逆にその長に何か不明朗不公正な点はないか、といつも目を光らせ手ぐすねをひいて待っている。 もともと土建と呼ばれる建設工事に汚職はつきもので、建築も土建のはしくれとしか思われていないのだから、自治体の長が余程しっかりとした見識をもっていないかぎり、無難に事を運ぼうとすれば、建築の設計者の選択には入札かコンペが一番ということになるのは、極めて自然なことなのである。 市民のための建築の設計が、最も安い設計料を提示したものの手に委ねられるという設計料入札の非は、ここに改めて述べる必要なないだろう。 一方コンペの場合は、それが正常に行われるのであれば特に問題はないし、きちんとした公開コンペはもっと盛んに行われることが望ましい。 だが現在、多くの自治体で行っているコンペは指名コンペが圧倒的に多く、しかもそのほとんどはとても正常なコンペとは言いがたい。 審査員がはっきりしない、もしくは専門家を欠いている、審査経過が発表されない、参加報酬が極端に安い、などの例は枚挙に暇がない。 しかも、時には本命はすでに決まっていて、それならば堂々と特命随意とすべきであるのに、癒着とか汚職まがいの指弾を受けたくないために、公正を装ってコンペのスタイルを取る。 こんなコンペの横行は目に余るものがあるのだが、これも入札と同じことで、指名された事務所が全員で応募を断ればたちどころになくなってしまうことは、火を見るより明らかだろう。 困ったコンペの横行に、応募を辞退してきちんと建築家としての筋道を通す人たちも、決して少ないわけではない。だが残念ながら、全員というわけにはとてもいかない。 その人たちにとっては常日頃、せっせと営業に励んだ役所である以上、とても断わるわけにはいかない。自ら傷ついて事を改めようとしないのである。 だから結局はそれでまかり通ってしまうのが通例で、建築家はその足元をすっかり見透かされてしまっているのであろう。 自分は傷つかないで相手にだけ改めて貰おうと思っても、なかなかそううまくはいかない。 多くの建築家が、恐らく圧倒的に多くの建築家が、設計料の入札や擬似コンペを非難しその改善を求める。 しかしながらいっこうに事態が改善されないのは、あるいは当然のことかもしれないのである。 かつて「建築家の仕事は頼まれてやるものだ」と言われた建築家前川國男の毅然とした姿勢を、今見いだすのは至難のこととなった。 このようにして建築家は、急速に設計業者へと変身していく。 読まれた方も多いと思うが、雑誌「日経アーキテクチュア」は、今年の2月20日号でホールの特集を行った。 その中で舞台照明家吉井澄雄氏は、記者のインタビューに答えてこう言っている。 すなわち、建築家の総合的な能力を本当に尊敬しているのですよ、と前置きをしたうえで、「経済的に必ずしも楽でないのは、同じ創作活動を行う者としてよくわかるが、自分の作品を作るのに入札をするのは建築家だけでしょう。 入札に応じるなら、少なくとも芸術家としての建築家の看板は下ろしてほしい。」と。外部からの、遠慮勝ちに述べられた、しかし痛烈なこの批判の言葉に、建築家は何と言って答えることができるのだろうか。 冷汗の吹き出るような丸裸の自分の姿を見せつけられて、なおいっこうに恥じることない人たちと、そして選りに選ってその人たちを入札や擬似コンペで選ぶ以外に能のない自治体とが、私たちたちの税金を使って、市民のための建築を今日も日本中の各地でつくり続けている。 4.国の認識 発注者の側の問題の話を、もう一つ書いておきたい。 文部省という役所がある。 今までの文章の中では、私は問題を全体の情況の問題として捉えたいために、いっさい具体的な名前や事実には触れないで書いてきたが、文部省は国の機関であり、これは直接私自身が経験した事実でもあるので、あえて実名で書かせていただく。 すなわち、国立大学の施設の設計に関することで、その設計料が極端に安いということと、建築家の著作権が全く無視されている設計委嘱要綱のこととについてである。 国立大学の設計料が極端に安いのには、幾つかの要因がある。 まず第一に、建築工事費の予算そのものが非常に安い。 一昨年の経験では、国立大学図書館の建築工事の工事費は約10万円/?だった。 浮世では考えられないローコストの建築なのである。 これが第一。次に文部省は、基本的には実施設計においてしか外注を認めていない。 施設部や施設課がある以上、基本設計と監理は自分たちでやるのが原則で、実施設計だけは人手のいることでもあり、必要であれば外部の人に手伝って貰ってもよい、という思想なのである。 現実には、施設課が本省に対して予算要求をするために書いた単線の略図のような、図面ともいえない図面があるだけで、本当の基本設計は実施設計担当者が必然的にサービスさせられる仕組みとなっている。 これが第二。 そして第三は料率そのものが大変低いということ、といってもこれは?だから、われわれに知らされるわけではないが、逆算すれば建設省告示1206に遠く及ばないことは明瞭である。 この三つが重なって、国立大学の施設に対する設計料の極端に安い価格が生み出される。 20年前、私は東北大学附属図書館の設計の委嘱を受けた。 私の所に見えた当時の施設関係者は―もう時効だから書いてもよいと思うが―是非設計をお願いしたいということと合わせて、上に記したような情況を説明され、基本設計こそ最も重要と考えているので、是非そこからお願いしたいこと、ただし、文部省から出される設計料は実施設計に対してだけでしかも極めて安く、とてもそれだけでお願いするわけにはいかないこと、従って貴方のところでやったらぎりぎりいくらかかるのか試算を出して欲しい、その不足分は私が責任をもって何らかの方法で充填する。ただし、ぎりぎり以上には出せないがそれで我慢してやって戴けないか、という話であった。私はいたく感激してお引き受けしたのだが、設計料の不足分は後に工事費の中に隠すという方法で私に支払ってくれたし、さらに監理の段階においては、この仕事を担当していた私の事務所の所員を、その期間大学が採用するという非常手段で事実上監理の仕事もできるように配慮をしてくれた。 こういう、外に知れたら馘首にもつながりかねない大変な際どい方法をとって下さった担当者のお陰で、私たちは精一杯この仕事に打ち込むことができたのだが、最近私は文部省のこの基本的なやり方、すなわちこの担当者のように、いわば自分の身に大変な危険がふりかかるかもしれないという手段方法を講じでもしなければ、とてもまともな設計監理はできようもないというシステムが、今も全くかわっていないことを知った。 というのは、同じ東北大学附属図書館が別館を増築するということになり、大学から前の図書館をやられたのだからこれもやってくれないかとの話があった。 一昨年のことである。さきに書いた建築工事費(設備は別*)10万円/?というのがこれで、延床面積約5,700?、これに対する設計料は1,000万円余(名目は実施設計料、実質は基本設計および実施設計の報酬)という話であった。 *これも大きな問題で、設備は設計の時点から別途発注される。建築は施設課から仕事を受け、設備は設備課から仕事を受ける。したがって建築を担当する建築事務所には、設備を担当する設備事務所をコントロールする権限はない。 勿論、委嘱報酬額の中には、設備の設計をコントロールするための費用は含まれていない。 しかも初対面の事務所同士で、これでよいチームワークができるはずがないし、本当に血の通った設計ができるわけもない。 だがこれは、文部省ばかりでなく多くの役所がこの方法を採っている。 設計という行為が、これほどまでに理解されていないのかと思う。 情況はすべて前回と同じであった。 悩んだ末に、前回にも構造担当をお願いした青木繁氏のご助言もあって、やはりやるべきだろうと考えて赤字を承知でお引き受けしたのだか、この時これも20年前と全く同じ不愉快な事実に遭遇した。 それは設計委嘱要綱の次の一項である。 すなわちその第二に、 (著作権の帰属) これは文部省で定めたもおであり、国立大学といえどもこれから逃れることはできない。 極端に安い設計料といいこの条項といい、これらの事実から判断すれば、恐らく文部省は良好な建築的環境は教育研究にとって必要ない、あるいは有害であると考えているのか、もしくはこの程度の費用とこの程度の設計料でつくられる環境が、教育と研究には最もふさわしいと考えているのであり、また著作権法という法律は文部省の所管であることを忘れてしまっているのか、もしくはそれを守る意志がないことを示している、としか考えようがない。 これが、日本の教育と文化を所管する国の役所なのであり、国の建築と建築家とに対する平均的な理解はこの程度なのだということを、はっきりと認識しておく必要があろう。 それにしてもこの事態を今日までまったく変えることができなかったのは、これに唯々諾々と従っていた私たち建築家の責任であることは否定できない。 ここでも私たちの足元をおびやかしている者が、実は私たち自身であることを知らされる。 そのことを十分承知のうえでされに書かせてもらうとすれば、今日本の多くの国立大学には建築学科が置かれており、錚々たる教授陣が揃っている。 この先生方はこの実態をご存知なのかどうか、そのいずれであるにもせよ、この先生方もまたこれを放置してきた責任から逃れることはできないだろう。 自分の頭の上の蠅を追うこともできない者が、建築の大儀について学生に講義をする。 そこから毎年多数の学生が巣立っていく。 彼らが建築家という職業への正しい認識をほとんど全くもっていないのも、あるいは当然であるのかもしれない。 今まで長々と書いてきたようなさまざまな建築界の情況を、大多数の国民は全く知らない。 建築というものが、一体どんな所でどんな風にして企画され計画され、そして決定されているのか、どんな方法で、どんな人がその設計者に選ばれているのか、その設計がどんな情況でどんな風に行われているのか、そしてどうやって施工者を決定しどんな仕事が行われているのか、一つの建築が生まれるまでの全過程の最初から最後に至るまで、そのほとんどすべてについて、大多数の国民は全く知ることができない。 ある者は素朴にすべてを信じているし、ある者は深い疑惑を抱いている。 どちらにもでよ、実態を見ることがけきないことは共通で、建築をつくるという行為は、いわばブラックボックスの中で行われているのである。 公共建築であるとすれば、納税者であり本来の建築の発注者であり所有者であるともいうべき国民が、言葉を変えれば主権者である国民でありながら、そのブラックボックスの中は見ることができない。 自分の払った税金の使われ方を知ることができなのである。消費者の権利が弱く、情報公開も名ばかりのこの社会で、ブラックボックスの蓋はまず開けられたことがない。 そのうえ、一般の国民、普通の市民にとって、つくられた建築がいい建築なのかそうでないのか、判断する材料もまた極めて少ない。 内心おかしな建築だと思っていても建築雑誌がこぞって取り上げ、学会賞を受賞したとか文部大臣賞を受けたとかいう話を聞けば、専門家がそういうのだからこれが良い建築というものなのだろうと、半信半疑ながら無理に自分を納得させる。建築雑誌でその建物について書かれているものを読んでみても、さっぱり何を言っているのか分からない。 そして開かれた場所で、普通の人の目の及ぶ所で、普通の言葉で建築のよしあしを論じてくれる人はどこにもいない。 新聞もそのスペースを提供しない。 まるでこれがいいのだたと自ら声を大きくして言ったものが良いとされるような、皆が価値判断の基準とその自信とを失ってしまったような現代社会の中で、芯のあるそして誰にでも理解できる建築批評の出現を期待してやまないのだが、その期待はなかなか報われない。 それだけ批評をすることが難しくなっているということででもあるのだろうか。 今住宅などを除いて、一つの建物には、通常の場合でもその建物の所有者とそれをつくる者、それを管理する者、そこで働く者、それを使う者、あるいはそれを眺めて通りすぎる人びとと、実にさまざまな人びとが、さまざまな立場で関わっている。 昨今ではその建物の企画者が別にいる場合も多いし、しかもその企画者が複数であったりもする。 当然のことであろうが、立場が違えば、価値判断の基準も違う。 それだからその間には、さまざまな形での利害の対立も存在しているのである。同じ一つの建築についてであってもその評価は、立場によって大きく分かれてしまう。 すべてに過不足のない批評は不可能であろうから、当然批評は誰にとってよい建物なのか、誰にとってよい建物であるべきなのか、という自らの批評の立脚点を明確にせざるをえない。 勿論、建築家もまた、その同じ選択を迫られる。 その選択をあいまいにするためにも、もしかすると今ある種の建築家たちは、この利害関係の中での選択を価値観の多様化だと言い換えているのかもしれない。 恐らくそれは価値観の多様化でも何でもなく、ただ利害の打算にすぎないのである。 話が少し横道にずれたが、もしもさまざまな立場に力点を置いた多様な建築批評が複数で存在していてくれれば、私たちはその全貌の概要ぐらいは掴むことができると思うのだが、残念ながら現状はそれとははるかに遠い。 今、日本の社会は、特に東京において甚だしいのだが、目に見えるものとしての街の歴史を急速に失ってきてしまっている。 すべては日に日に新しくなっていくばかりで、わずか20年前の建築は最早数少ない古い建築の仲間なのである。 文化は歴史の堆積であり、批評の根源はその社会の文化、もしくはそれへの批判の中にあるのだから、歴史が目に見える形で残っていない社会では、もともと批評というものはなりたち難いのであろうか。 市民の建築への批判が極端に少ないという情況も、根はそこにあるのかもしれない。 この歴史を失ってしまった街というものが、世界の中ではどんなに異常な存在であるのか、一歩外に出てみれば誰にでも分かることなのだが、日本は今ひたすらその道を歩んでいる。 それだけにいっそう建築の批評が欲しいと思う。 批評が社会の建築に対する関心を高め、良い建築とは何かという判断力を養っていく。 今その判断は、もっぱら政治家と財界とに委ねられている。 その判断のなかで、次々と大量の建築がつくられていく。 今、私たちはこのような不思議な社会に住んでいるのだと思う。 私たちの社会全体が、もしかするとブラックボックスの中に閉じ込められているのかもしれないのである。 批評のない場所で、建築に対する無関心といい加減な判断力に支えられて、建築家は安穏のうちに仕事を続けることができる。そこでは何をしても許される。 これがいい建築だと大声で叫べば、声の大きいものが勝つ。 建築家がなかなか正常に育たない土壌が、ここにもある。 建築家とは一体何なのか、いかなる職業であるのか、そして建築家の自由とは何か、何故自由を標榜するのか、あるいは建築家に果たして自由はあるのか、といったような問いや疑問は今まで幾度となく繰り返されてきた。 そのことが示すように、この職業の概念は日本の社会の中では今多くの混乱を抱えている。 もともと建築家architectという概念は外来の概念であり、すでに長い時間を経過してはいるものの、いまだに日本では西欧社会におけるような一般的な通念、建築家とはどんな職業であるのかという社会常識といったものを得るには至っていない。 そのことが、今日の混乱の最も大きな原因となっている。それは法制にも反映されていて、現在日本には世界的な通念としての建築家architectに対する法的な資格は存在していないし、建築家という職業に対する法規制もない。 ほとんど野放しの状態になっているといってよい。 かつてarchitect lawとしての建築士法制定を求めて長い間運動を進めてきた先輩たちが、戦後に至ってようやく手に入れることのできた建築士法は、戦後の復興を第一義とするという名分のもとに、職業法としてではなく技術者の資格法として誕生したものであった。 建築士法制定にあたって衆議院建設委員会と建設省住宅局の編著になる『建築士法の解説』にも、そのことははっきりと書かれていて「(本法の制度上の特色の)第1は、本法が建築士制度を純粋に職業規制の観点から採り上げることをしないで、主として技術資格検定を主眼として構成されていることであり」その資格本位性を採用した理由として「わが国において自由職業としての設計監理業の発達が不十分であることに基づくのであります」とし、さらに「(この法は)一面理想論者にとっては、あるいは幻滅を感じる点があるかもしれません。 しかしこれは国全体の文化が進歩して行くに従って、逐次改善していくこともできるでありましょう」と書かれているなど、現行士法が当時意図的に本来的なarchitect lawを避けてつくられたことが明らかになっている。 爾来その大筋は全く変わっていない。現行士法においては、自ら、もしくは建築士を使用して、他人の求めに応じ報酬を得て、設計、工事監理などを行うことを業としようとするときは、建築士事務所を定めて登録することが義務付けられていること、そして事務所は帳簿の備え付け、業務に関する図書の保存、標識の掲示などが求められているばかりであって、職業としの基本に関わる事項についてはほとんど何の規定もない。 だから私が書いてきたようなさまざまな退廃的な現象は、それが如何に目を覆うような情況であったとしても、法的には一切野放しなのである。野放しにされた退廃の中で、その退廃を拒否しようとする者と退廃に身を委ねた者と、その間に公正な競争はありえない。 そこでは悪貨が良貨を駆逐するのであり、その最終的な迷惑と損失とはすべて消費者の上にかかってくる。 今その退廃を止めることのできる力は、極めて弱い。 新日本建築家協会は職能団体として自ら倫理規定と行動規範を定め、職能を守り確立していくために努力を重ねさまざまな活動を展開しているが、その闘いは決して容易ではない。 職業としての建築家の概念の混乱が退廃を生み、その退廃がいっそう概念の混乱を招く。 そして、そのつけはやがて消費者に回っていく。 建築家は、一体消費者の敵なのか味方なのか、建築家という存在の根底に係わる問題が、今問われているのだということを知るべきであろう。 私はここで、消費者といく言葉を使った。 いささかあいまいな表現かも知れないが、前に記したように今建築は単純に依頼者だけのものではかくなった。時には依頼者は建築主と別であり、さらにそこで生活し、あるいは働く人たち、あるいは外部から来てその建物を使う人たち、という広範で多数の人たちが、その建築からあるいは利益を得、あるいは損害を受ける。 その総体の人たちを、私は消費者と呼んだ。建築家は今この広範であいまいな消費者を相手に建築をつくることを求められている、と思うからである。 建築の法制も、消費者保護の観点からの見直しが必要になって来ているのである。 その意味で法の整備を強く求めるとともに、最初の問いにたち帰って、一体建築家とは何なのか、いかなる職業であるのかということを明らかにしておきたいと思う。 free architect自由な建築家、あるいはfree & idndependent自由と独立、という言葉があるが、私はこれらの言葉に建築家という職業のもつ本質が端的に示されていると思う。 私たち建築家は、自分の思想信条に従い、自分の知識と経験とによって、依頼者のために奉仕し、さらにその仕事を通して社会公共の利益のために奉仕することを職業の本分とする。 その根底を支えるものが自由と独立となのである。 建築家という職業は、依頼者の依頼に応えるために、自分の専門的な知識と経験と能力と、そしてまた自分の良心と思想とに従って、自分の責任で依頼者に代わって考え、判断し、決断して下していくことが求められている。 だから何ものにも捉われずにそうゆうことのできる自由、精神の自由というものが第1に求められるのであり、さらに経済的な意味においても自由で独立の立場に立つことが、最も基本的な要件として要求される。 そのことから、例えば建築家が自ら建設業、あるいは建築材料業などといったような職業に携わり、もしくはその使用人になってはいけないとされているのであり、それは、そのような経済的な関係すなわち自由を束縛し矛盾を生じさせる可能性の大きい関係中にあっては、建築家が公正な判断を以って依頼者や社会に奉仕することを期待するのは、大変難しいと判断されるからにほかならない。 そしてそのような関係を排除した自由で独立の立場に立って、権力、財力、あるいは政治的な圧力といった外部の力に対して、そして同時に自己の内部の利己心、金銭欲、名誉欲、もしくは自己顕示欲といったさまざまな欲望に対しても自由であることが求められているのである。 そのような自由をもつ者であって、初めて依頼者のために建築家としての最善をつくすことができるからにほかならない。 依頼者は通常、建築につての専門的な知識や経験をもっていない。 だからその判断や決断を、建築家のもっている知識や経験に委ねるのである。 ひらたく言えば依頼者は建築をつくるための莫大な費用、数百万数千万あるいは数億数十億、ときには数百億といった費用の使い方を、すべて建築家に委ねてしまうのである。 しかも建築は、出来上がったものを見て確かめて買うことことはできない。 事前に依頼者に与えられるのは、せいぜい図面と模型とそして建築家のいくばくかの説明とにすぎないのであり、出来上がる建築に比べればはるかに少ないほんの僅かな情報を与えられるだけで、この高価なしかも先物買いの買い物をしなくてはならない。 建築家への強い信頼がなければ、とても踏み切ることのできない買い物であろう。 建築家はこのような依頼者の信頼に応え、その依頼を満たすために自分のもっているすべての能力、創造的な力や技術的な力、思想、そして蓄積された知識と経験のすべてを、そこに傾注するのである。 だから依頼者の金を使って自分のやりたい放題をやり、自分の自己顕示欲を満たすというようなことがあればそれは全く論外で、彼を建築家と呼ぶことはとてもできない。 建築家は自分のすべての能力をだた依頼者と社会の利益と幸福とのために用いるのであり、そこに新しい建築の世界の創造を目指すのである。 建築家は、依頼者の依頼に応えるものでありながら、その仕事を通じて同時に社会公共の利益を図ることを求められる。 すべての建築は、その所有者のもでありながら同時に社会的な存在であり、建築家は個々の建築をつくることで同時に良好な社会環境をつくるという社会的な使命をもつ。 だが時に、あるいは多くの場合、依頼者の利益と社会公共の利益は衝突する。 依頼者はしばしば大変利己的であったり、無知で悪趣味であったりする。 また時には反社会的である場合もある。だから建築家は、ただ盲目的に依頼者に奉仕するというわけにはいかない。 社会公共の利益や公正さにもとらない範囲で奉仕するのであり、そうすることが本当は依頼者にとっても利益なのだということを、まず理解させなければならない場合は決して少なくない。 そして建築家はその依頼者から報酬を得る。 その関係の中にあって、時にはその依頼者の意に反してでもその身勝手な欲望を抑え、時には工事費の無駄な出費をやめさせて、その結果自分で自分の報酬を削る。 自己の信念に忠実に従い、自分の利益より依頼者の利益を優先させ、自分の利益より社会公共の利益を優先させて考える無私の精神が、建築家という職業には欠くことのができないのだと思う。 上に書いたように、依頼者は自分では専門的な知識や経験をもっていないために、建築家にすべての判断を委ねる。 そして、その同じ理由のために、依頼者は建築家が果たして自分の金を有効に、そしてリーズナブルに使うように考えてくれているのか、あるいは仕事において果たしてそれが公正に使われているのかどうか、ということについても一切判断することができない。 判断ができないがゆえに、ひたすら建築家と信頼して、その判断のすべてを建築家に委ねざるをえないのである。 そのような情況の中で、建築家は何より公正でなくてはならないのであり、それによって依頼者の信頼に応える者でなくてはならないのである。 なにしろ建築家だけが一方的に知識をもっていて相手はもっていないのだから、誤魔化すことくらいはいとも容易で、杜撰な設計やいい加減な図面でも通ってしまう。 もしも建設会社と結託でもすれば、相当の悪事も決して不可能ではない。損害を受けるのは勿論依頼者で、だが多くの場合依頼者はそのことに全く気がつかない。 建築家は、そういうことのできる立場にいる。 退廃への誘惑が待っているのである。 安い設計料はその誘惑に拍車をかける。 その誘惑を退けて身を持することのできる者のみが、建築家と呼ばれるのである。 建築家という職業は、一歩踏みはずせば直ちに退廃に足を取られるという危険な淵に立っている。 社会が建築家という職業を、今まで私が述べてきたような職業としてこれを正しく認識し、勿論それ以前に建築家自身の自覚は当然のこととして、法によってこれを規制し、あるいは保護し、その正常は発展を図るという仕組みになっていない日本の社会で、建築家はいっそう深い危険な淵に立たされている。 論者の中には、もうそんな建築家はとうに姿を消してしまった、最早この社会ではそのような建築家は存在することはできない、そんな建築家像は19世紀の遺物なのだという人たちが、次第に数を増している。 そういう言葉で退廃を隠蔽しているのである。 建築というものが、依頼者の注文によって始まり、建築家がそれに応えてつくるという基本的な関係が変わらない以上、職業としての建築家の像は決して変わらない。 依頼者、社会への奉仕といい、専門的な知識と判断といい、あるいは無私の献身、公正さの保持といい、すべて、その基本的な関係の必然的な帰結にほかならない。 私たちの社会では既成事実が大きくものを言う。済んでしまったことは仕方ない、このという言葉は、私たちの生活の中では日常茶飯に使われている言葉であって、寛容とも諦めともつかない言葉によって、私たちは既成事実を容認し、あるいはそれに屈服していく。 そして何事によろず何かことを処理しようとするときに、私たちを最も強く支配するのは現実であって、決して理想ではない。 現実という、いわば既成事実の集大成が、最も大きな力を持つ。 このような社会では、原則や理想、あるいは理念といったものを貫き通すことはなかなか容易ではない。 現実を拠り所としている者、もしくは現実に寄りかかっている者が最も安泰で、貴方は現実を知らない、時代は変わってきているのだ、今の現実はそんなものではない、その考えは全く非現実的だと、そんな非難や指摘ほど、相手い大きな打撃を与えるものはない。 その中で理想はいつも冷ややかに扱われる。 理念は棚に上げられ、原則は無視される。 ましてや正義などというものは、今日本の社会ではほとんど見向きもされない。 その結果が今まで長々と述べてきたような、今日のこの情況そのものなのだと私は思う。 この情況をこのまま放置しておくわけにはとてもいかない、と私は考える。 こんな情況の中にあってもなお、多くの建築家たちは高い理想を掲げ、理念と原則とを大切にし、悪戦苦闘を強いられながらも正義を重んじて闘い続けている。 その多くの人たちと共に、好ましくない現実は力を合わせて変えていかなければならないのであり、そうしていけば必ずいつか変えることができるのだと私は思っている。 そのことを表明したくて、私はこの一文を書いた。だがしかし、この重い現実を果たしてどこまでどのようにして変えていくことができるのか、自信があるわけではない。 ただ、ラインホールド=ニーバーの祈りとして有名になった次の言葉に、私は深い慰めと希望とを与えられる。 そしてまた私も、同じように祈りながら歩んでいきたいと思う。その言葉を最後に記して終わりとしたい。 “神よ、 (鬼頭 梓 建築家) |
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